191話(1999年11月26日 ON AIR)

「夏目組」

作・夏目 雅也
ねえ。
え…?
間。
ねえ。
…うん。
ひとつ、お願いがあるの。
…君は、そう言った。
覚えておいてほしいの、
そして、こんな風に、突然、僕のもとに訪れる。
私がこうして、いることを。
その言葉。…。
間。
―雨。
…雨?
雨が降ってる。最初に思い出すのはその雨の光景。
うん。
それから…
雨音。
そう…ゆっくりと雨音が聞こえ出す。
かつん…かつん。
ん?
かつん…かつん…(と、続ける。少しづつ間隔を狭めて)
…ゆっくりと。そう、雨音が…。
…かつんかつんかつんかつん…
かつんかつんかつんかつん…(と、続ける)
かつかつかつかつ…
かつかつかつかつ…
かっかっかっかっか…
かっかっかっかっか…
二人で、早さや強さを換えながら、そのときの雨の音を探している。
やがてそのときの雨の音。しばらく続く。
男、止まり。
君が話していたこと…
取り残された女、少しして止まる。
…そうだ…
―散らばっていくような気がしない?
え?
雨の中に。
…散らばる?
そう。雨の音を聞いてると。
雨の中に…?
最初はひと粒ひと粒なの、雨も。降ってきたなって思って、それでじっと聞いてる。ひと粒ひと粒はそのうち重なりあって、つつむの、私の周りを。そうしたらだんだん溶けていくの。そんな感じ。
溶ける?
そう、溶けてくの、自分と雨の間が。だんだん雨が降ってるのか、それとも自分の中で雨音が鳴ってるのか、そんな単純なこともわからなくなってくる。
雨の音の中に。
そう、雨の音の中に。
だんだん自分が消えていくんだ、音の中に。
ううん、違う。
え?
消えてはいかないの。散らばっていくの。ぽつんと。私が。
消えるんじゃなくて?
うん。
…それで?
…ぽつんと散らばってく。
…。
何だろう?
何?
間。
…うまく話すことができないの。いろんなことを話そうと思って、話さなくちゃいけないって思って、でも全然違うの、出てくる言葉が。だからそうじゃないんだって説明しようとするんだけど、それもまた違う全然別の言葉で。だから追いかけっこしてるみたいに、私の言葉はもうひとりの私が持ってて、追いかけても追いかけても、追いつくことができないの。
そういうこと、よくあるよ。
そうかな。
そう、何か言いたいことがあっても、言おうとするとするとうまく言うことができないんだ。それでどうしてももどかしい気持ちになる。
そういうことじゃないよ。
え?
なくなってしまうのよ。まるっきり。私が何を言おうとしていたかも、ううん、私が何なのかも。突然、何を言ってるかわからなくなってしまって、そこから先がないの。
ゆっくり考えればいい。ずっと待ってるから。言いたいことがみつかるまで、ずっと待ってるから。
ううん。
ん?
待っていても、何もでてこないよ。きっと。
間。
ごめんね。
ん?
あなたが悪いわけじゃないの、きっと。ただ、不安なだけなの。私が。私のことが。
大丈夫だよ。僕はここにいる。
ねえ。
…ん?
ひとつお願いがあるの。
うん。
聞いてくれる?
もちろん。
覚えていて欲しいの。私がこうして、いることを。
うん。
本当に?
うん。…本当に。
間。
でも、それから随分たったんだよ。
…うん。
君はもう、どこにもいなくなってしまった。この世界のどこにも。
…うん。
だんだん、思い出したいことは思い出せなくなった。
…雨は?
はっきりと思い出せるのは雨が降ってたってことだ。
私がこうして、いること、
僕はもうたくさんのことを忘れてしまった。
覚えておいて欲しいの。
肝心なこと。どうしても思い出したいことは、もうどこにあるのかもわからない。
肝心なこと?
そう、君の顔や、君の姿や、思い出すことができない。すぐには。
それでも…
こうやって思い出して、声にして話そうとすると、それが本当の君の姿なのか、それとも僕の中にある君の姿なのか、そんなことすらわからなくなってくる。
でも…
でも、話し続けるんだ、僕は。君の姿が消えてなくなっても。
それでも話し続ける。僕は。君のことを。
そういうことなんだ、きっと。
…うん。