2話(1996年4月12日 ON AIR)

「結婚を決意した夜」

作・松田 正隆
○ 故郷
私(N)
「一年ぶりに故郷へかえったら、直子から電話があった。」
直子
「ねえ、ちょっと会おうよ。」(と受話器から)
「うん。いいよ。」
直子
「じゃ、いつものとこで。」(と電話がきれる)
私(N)
「直子とは毎年帰省するたびに飲みに行った。彼女は、 高校の時の同級生で、私にとっては恋愛感情なしで、 付き合えるただひとりの女友達だった。」
直子(回想)
「男と女でも友情はあるわよね。いつまでも、 友達でいようね。」(キッパリと)
私(N)
「直子は、よくこんなことを言った。そんな事言われなくても、 私には彼女を恋人にする気はなかった。 友達の方が気が楽で色々なことを話すことが出来たのだ…。 お互いそう思っていた。 いきつけのスナックで、いつものように二人は待ち合わせた。」
○ 店のカウンター
直子
「…元気でやってる?」
「うん」
直子
「つづいてる?仕事。」
「つづいてるよ。…お前はどうなんだよ。」
直子
「何が」
「何がって、元気でやってるのかよ。」
直子
「…あいかわらずよ…」
私(N)
「二人はいつものように、とりとめもない話をした。高校を卒業して12年。 毎年そうだ。仕事、映画、小説、友達の噂話。恋人の事。 毎年、同じ話題で、夜遅くまで話していた。ただ、 それだけで、楽しかった。しかし、その日は少しいつもと違った。」
直子
「私ね、…縁談があるのよ。」
「へぇ。よかったじゃないか。」
私(N)
「素直に喜んだつもりだった。直子も私も、30を過ぎていた。 結婚話の1つや2つない方がおかしい。だから、 素直に喜んだ。…つもりだった。」
直子
「それがね…。迷ってるの。」
「何で…。どうしてだよ」
直子
「どうしてって…。」
私(N)
「マヌケなことを言った自分に後悔した。」
○ 直子の家までの坂道
私(N)
「店を出て、私は直子を送った。直子の家は海を見下ろす丘の上にあった。その坂道を 二人は一言もしゃべらず登っていった。真っ暗で海は見えなかった。風向きのせいか 潮騒も聞こえない。ただ、底の方に広がる海の気配だけが感じられた。二人は しばらく家の前でたたずんでその海の気配のする暗闇を見下ろしていた。 …そうだ。いつだったか、こんなことがあったような気がする。」
直子
「…じゃあ。…」
「…じゃあ。…」
私(N)
「何も出来ず、何も言えない、自分が情けなかった。直子は 家の門を開け、消えていった。…。 何だか、二度と会えないような気がした。」
○ 都市(SE 雑踏の音)
私(N)
「休みも終わり、いつもの生活が始まった。ここでは時間はまたたく間に 過ぎてゆく。多忙な毎日にまかせて、私は直子の事を忘れた。 …つもりだった。」
○ 真夜中の電話(SE 電話の音)
(布団からはい出して、やっとの思いで受話器を取る)「はい。」(と寝ぼけ声)
私(N)
「それは真夜中の電話だった。」
私(N)
(SE 受話器から、波の音)「…受話器からはかすかに、波の音が聞こえた。」
直子
「…ねぇ、いっしょになろうよ。」(と受話器から)
私(N)
「思わずうなずいてしまった。…電話なのに。ポルトガルの海岸に打ち寄せる波を 想いうかべた。あたたかな緑色に白いしぶきが渦巻いている。 ポルトガルには行った事はないが、きっとそうに違いないから、なあ、一緒に 行かないかと言おうと思ったがあまりに唐突なので言えなかった。」
直子
「でもねぇ…。私たち30過ぎてるし…。楽しい時間も残り少ないわよね。 …。私に飽きてあなたが浮気しても許すわ…。でも、精神的な浮気は ダメよ。それって、辛いから…。」
「昔、おまえの家の近くのさ、海を見下ろす丘に行った事があったじゃないか。 おまえのところの親戚の男の子が東京から来ていっしょに行ったんだ。 …ドキドキしたよ、俺…。おまえの横顔見てたら…。 だから、俺さ、あの時「海にお船を浮かばして」だったか「浮かばせて」 だったか、どっちだったかなっておまえに聞いたんだよ。 そしたらお前は笑ってとりあわなかったんだ…。」
私(N)
「私は誰に向かってしゃべっているのか、もうわからなくなっていた。 もしかしたら、電話の相手は直子ではなく海そのものだったのかもしれない。」
直子
「私の方がきっと先にゆくわよね。そしたら、 その後楽しく生きなさいよ。」
「馬鹿、同い歳なんだから、だいたい一緒だよ…。」
直子
「そうね…きっとそうよね。」
「そうね…きっとそうだよ。」
(SE 受話器からの波の音はいつの間にか、本当の潮騒にかわっていた。)