第238話 (2000/10/20 ON AIR)
「月光」 作/深津篤史

夢を見る。

階段をのぼる音

今、君の部屋の前。僕は少しためらってから、チャイムを押した。

チャイムの音

ドアノブに手をかける。開いた。いつもと変わらない君の部屋。ベランダの戸は開いていて、表は風のない夜。壁に映画のポスター。キッチン脇の出窓にグラス。赤いベタが小さくあくびする。部屋はやわらかい光に包まれている。座卓の上のすいはん器は白い湯気をたてている。

なあ、こういうのって何ていうんやろうなぁ。

グラスの中に赤いベタ。うすみどりのおはじき。冷たい青のとけたビー玉。コルク瓶のエサはもういくらもない。

階段をのぼる音

すいはん器の脇におはしとおちゃわん。灰皿。もみ消された煙草はついさっきまで白いけむりをあげていた。

足音。遠ざかった
煙草は。

時々な。なんかしんどい時。

見た事ないなあ。

煙草に火を付けた

会話がその核心に触れる寸前に途切れた時の君の横顔。

楽しいもん。一緒にいたら。

留守番電話の赤いランプがチカチカと点滅している。あれは俺の分だ。ほんの5分前。

楽しいからな。

ふと、電話のベル

そこで目が覚めた。駅前広場は驚く程静か。公衆電話の青い光がしょんぼりと立っている。指先の煙草は白い灰に変わっていて、危うい均こうを保っている。俺は眠ってなんかなかった。ただぼんやりとしていただけだ。

と、電車が通りすぎた

ごめんな。

君は笑って手を合わせた。

横、座ってもいい?

気がつけばいつもと変わらない君が隣にすわって俺を見ていた。

静かやなあ

ポケットの煙草に手を伸ばした。

だいぶんまったやろ。

俺は少しうなずいて煙草に火を点けた。そして一言二言、急だったからとか、仕方がないみたいな事を言ってみた。

おこってない?

俺はうなづいてみせた。君は少し笑ってもう一度謝って

うち、くる?

夢をみたよと俺は言った。

え。

電話のベル。ひとしきり鳴り、止む

いいの?

うん。音消しとこ

ほんまに?

何か変な事考えてるやろ?

いや。

なあ。

何。

こういうのって何ていうんやろうなあ

こういうのって。

今、こういうの

今。

一緒にいるとな。楽しいやん。

うん。

楽しいからな。

楽しいから。

何ていうんやろ。しあわせ、ふしあわせ。

うん。

こんな夜はな、ふわってなんかそんな事考える。秋やから?

俺も。

夢の話。

うん。

どんなん?

電車の通りすぎる音

駅前広場は驚く程静か。公衆電話の青い光がしょんぼりと立っている。風のない夜。指先の煙草は白い灰に変わっていて危うい均こうを保っている。

楽しいもん。一緒にいたら。

俺は立ちあがってポケットの中の小銭をたしかめた。

赤いベタ。買いにいこう。

ベタ?

何かいたらうれしいし、一人の時。

うん。

魚はなんか、ぼんやりしてるだけやから。

だから。

動物やと人っぽいから、あったかいし、たぶん、きっと、さみしくなる。

うん。

せやからな。

赤いベタ。

電話のベル。ひとしきり鳴り、止む。

いいの?

うん。