252話(2001年1月26日 ON AIR)
「兔の休日」

作・

久野 那美

昔昔あるところに。大きな兔がおりました。
白くて、ものすごく大きくて、丸いしっぽがついていて、赤くて丸い目をしていました。
兔は生きるのが好きでした。
いつも食べていないと死んでしまうので。どんどんどんどん食べました。
まず、野菜を食べました。
野菜がなくなると木や草を食べました。
昆虫を食べました。
次には大きな動物も食べてみました。
どんなものでも、食べることができました。
食べるとちょっとだけおなかがいっぱいになりました。
身体もぽかぽかとあたたかくなりました。
それはとても幸せなことでした。
だけどすぐにまたお腹が空くのでした。
食べるととても幸せな気持ちになりました。
食べ終わったあとだけがとても幸せな時間でした。
だからいつもひとりでした。
誰かと一緒にいるときは、誰かを食べるときでした。
他の動物も食べてみました。
人間も食べました。
友達の兔も食べました。
友達でない兔も食べました。
面識のなかった兔も食べました。
椅子やテーブルも食べてみました。
山や建物を食べました。
町をまるごと食べました。

兔には友達がいませんでした。
何でも食べる兔との付き合い方を、誰も知らなかったから。
法律も、文学も、哲学も、科学も、そんなことは教えてくれませんでした。
文学や、哲学や、科学が教えてくれるのは、人間と世の中のことでした。正しいことや間違ったことについてでした。何でも食べる兔のことではありませんでした。
法律は何でも食べる兔のことを裁いたりしませんでしたが、何でも食べる兔の権利についても説明を説明してくれませんでした。
兔は法律を食べ、文学を食べ、哲学を食べ、科学を食べました。
町という町を食べつくし、陸という陸を、海という海を食べ尽くしました。
音も、光も、風も・・・、みんな食べてしまいました。
やがて世界は空っぽになりました。
静かな真っ暗な闇の中で、兔は完全にひとりっきりになりました。
いえ・・・なったはずでした。
真っ暗で何もない世界の中に。ひとりで取り残されているはずでした。
けれでも・・・。
真っ暗な、何もない世界の中にいたのは1匹ではなく2匹の兔でした。
空っぽの世界を挟んで。同じような2匹の兔が向かい合っていたのです。

兔(雄)どうして会わなかったんだろう。今まで。一度も。

兔(雌)どうしてだろう。・・・通りすがりに何度もあってたのかもしれないよ。

兔(雄) 僕と同じような兔がどこかにいるかもしれないなんて考えたこともなかった。

兔(雌)私も。考えたことなかった。だから・・・会えなかったのかもしれない。

兔(雄)世界中に何もなくなって。真っ暗になって。他のものはなにもみえなくなったのに。

兔(雌)今だって、見えないじゃない。

兔(雄)見えないよ。君はほんとにそこにいるの?

兔(雌)あなたは?ほんとにそこにいるの?

兔(雌)ねぇ。

兔(雄)

兔(雌)耳に触ってもいい?

兔(雄)え?

兔(雌)だて、こんなに真っ暗じゃ、貴方の形がわからない。

兔(雄)あぁ・・。

兔(雌)ほんとにそこにいるのかどうかもわからない。

兔(雄)・・・。

兔(雌)だって、こんなに何にもないんだから・・・。

兔(雄)しょうがないよ。

兔(雌)うん。しょうがない。

兔(雄)寒い?

兔(雌)寒くない。

兔(雄)あったかいね。

兔(雌)うん。あったかい。

兔(雄)あれだけ食べたんだから。

兔(雌)食べたものの分だけ、体温があがるのよ。

兔(雄)・・・。

兔(雌)生き物だからね。

兔(雄)うん。

兔(雌)ねぇ。

兔(雄)え?

兔(雌)おなか空いてる?

兔(雄)いや。君は?

兔(雌)私も。

兔(雄)・・・痛い。

兔(雌)ごめん。

兔(雄)しかもねじるなよ。

兔(雌)ごめん。

兔(雄)・・・兔の耳は敏感なんだから。

兔(雌)知ってる・・・。

兔(雄)・・・。

兔(雌)だけど何かに触ってないと、自分がどこにいるのかわからなくなる。

兔(雄)・・・食べてる時はそうじゃなかった。

兔(雌)うん。

兔(雄)食べたものがすとんすとんと身体の中に落ちていった。そして体温があがっていった・・・。だけど暖まれば暖まるほど。世界はどんどん遠ざかっていった。

兔(雌)今は?

兔(雄)・・・。

兔(雌)ねぇ。・・・おなか空いてる?

兔(雄)・・・いや。今は何も食べたくない。

兔(雌)私も。

兔(雌)どうしようか。

兔(雄)え?

兔(雌)こんな何もない真っ暗な世界の中で。

兔(雄)・・・。

兔(雌)私たちが食べてしまった、空っぽの世界の中で。

  
 

  
兔(雌)ねぇ。

兔(雄)うん?

兔(雌)寒かったねぇ。

兔(雄)・・・うん。

兔(雌)食べても、すぐ、寒かったねぇ。

兔(雄)うん・・・。

兔(雌)ずっと、寒かった、でも・・・。

兔(雄)・・・。

兔(雌)・・・痛い。ひっぱらないでよ・・・。

兔(雄)・・・ごめん・・・。

兔(N)兔が時間も食べてしまったので。
それから一体どれくらい経ったのか、誰にも分かりません。
ある日。雌の兔は大きな大きな丸い卵を産みました。
それは固い殻に包まれて、白く鈍く光っていました。
真っ暗な闇の中に、白い光が生まれました。
遠くから眺めれば。卵の殻には2匹の兔の影がうっすらと映っているのが見えました。闇の中。卵は2匹の兔の間で、いつまでも白く光っていました。


固い殻の中には、世界がひとつ入っていました。
そこには兔がかつて食べてしまったものがみんなひととおりそろっていました。
けれども2匹の兔だけが・・・その中にはいませんでした。