282話(2001年8月24日 ON AIR)
「蝉のトンネル」

作・

樋口 美友喜

あたし『8月24日。
一匹のセミが今生まれたとしたら、学生でいうところの“夏休み”が終わるのと一緒に、このセミも終わる。
でもあたしらはセミじゃないからまだ終わらへんし、学生じゃないから始業式もない。
でもあたしにもやり残した事があった。』
一匹の蝉が鳴き始めると、それが合図なのか
一斉に木々に潜んでいる蝉たちが鳴き始める

あたしうわぁ。すごいな。
セミのシャワーみたいや。

はるさんうるさいわ。むかつくわ。重たいわ。

あたしセミのシャワーか?あんまりゴロよくないな。
どう思う?

はるさんうるさいわ。むかつくわ。重たいわ。

あたしこれ凄いな。この並木道、セミの宝庫やな。
ところでうるさいってのはあたしの事?

はるさん暑さ増すで、こんだけ鳴かれたら。
ほんま、うるさいわー。むかつくわー。重いわー。

あたしはるさん。

はるさんあ?

あたしいんじゃんで負けたんやからしゃーないやろ。

はるさんしくったわ。
車で買い出し来れば良かった。クーラーがんがんに効かせて。

あたしはるさんのグチの方が暑さ増すから。
風流や~、って思っとき。好きやろ?そういうの。

はるさん違うねんな、それが。
だいたい風流とかワビサビとか勘違いしてる奴、最近多いやろ。
あ、でもセミの生き方にはかっこよさを感じるな。うん。

あたしでた。

はるさんセミはな、土の中に7年…言うたら下積みが7年あって、「羽ばたいた!」って思ったら7日間で終了や。無常観の響きがするわー。それでな…

あたしはるさんのウンチクも暑さ増すねん。

はるさんうるさいわ。むかつくわ。

あたしまたぁ?

はるさん子供。

あたし夏休みやもん。
昼も夜もガキパラダイスやわ。

はるさん早く学校始まって欲しいわ。
うろちょろせんように閉じ込めとけよ。

あたしそろそろ宿題に追われる頃やから静かになるんちゃう?

はるさんあほか。邪道や、それ。

あたし何で?夏休みの宿題パターンやん。

はるさん宿題は学校に行ってから、写させてもらうに決まってるやろ。

あたしあかんわ。
あたし宿題やり残したまま学校行くなんか、考えられへんかったわ。

はるさん俺なんかいつもやり残しっぱなしやったわ。

あたし気にならんかったん?

はるさんやり残した事より、次の事。
そっちの方が気になるわ。

あたし次の事が気になるから、やり残しが出来るんちゃう。

はるさんそういう性格やねん。
もっと俺にあう仕事があるんちゃうかなーって。

あたしやり残しばっかり残してたら…変な日本語やけど…残してばっかりやったら何もやり遂げてないやん。

はるさん何当たり前の事言うてるねん。

あたしだから…。

はるさんええねん。
俺はひょーひょーと生きていくねん。

あたしはるさん…。

はるさん俺、食べ残しはきれいさっぱり平らげられるねんけどなぁ…。

あたし今の仕事、もう嫌なんやろ?

はるさんそんな事言うてないよ。
気合う奴ら多いし。

あたしはるさん…。

はるさんあ?

あたし…どっか行くの?

はるさんどっかって?

あたし前に言うてたやん。

はるさん何を?

あたしもう俺が抜けても大丈夫やろ。
お前らだけでもやっていけるやろって。

はるさんああ、ああ。

あたしそんなん言うてる暇ないで。
これからやらなアカン事いっぱいあるんやから。

はるさん月並みな事言うていい?

あたし「何がやりたいかわからんねん」とか言うのやめてや。

はるさんそら、お前はなぁ、はっきりしてるからええやろうけど。

あたし…ちゃうねん…。

はるさん何が違うの?

あたし言い訳やわ。

はるさん言い訳?

あたしうん。きっと。

はるさん俺、言い訳なんてしてないで。

あたしあたしが。

はるさんえ?

あたし安心してられるねん。
そう思ってんのあたしだけじゃないと思うで。
だから…。

はるさん…。

あたしだって、もしな、はるさんが「俺絶対にこれがやりたいから、後はお前らに頼むわ」って言うたら、あたしら止めるのはおかしいと思うもん。

はるさん急にはな、無理やん。
引き継ぎとかやらなあかんし。
ええ感じでフェードアウトしていくのがベストやろ。

あたしでも、はるさん、ころころ考え変わるからなぁ。

はるさんそんな優柔不断みたいな言い方すんな。

あたしだってあるやろ?そういうところ。

はるさんまぁな。

あたしほら…。

はるさんあ!忘れた!

あたし何を?

はるさん枝豆。

あたしもうええやん。他にもつまみ買ってるし。

はるさんあほか。ビール飲むときに枝豆がないなんて邪道やろ。

あたしどうでもええやん。みんな待ってるで。

はるさん買ってくるわ。先帰ってて。

あたしあたし一人でこの荷物どうせー言うの?

はるさん車動かせる奴に電話して迎えに来てもらって。枝豆は外されへんやろ。

あたしもー。ええやん。枝豆なんか。
こわー。とろとろ歩くな。走れ。

はるさんえー?走るんか?

あたしそうや。急いで。

はるさん先始めといて。すぐ行くから。

あたしあかん。はるさん待ち。
はるさーん。走りや。
ヨーイ…ドン!

  
 

同時に、ピタリとあのうるさかった蝉が鳴きやんだ。

  
はるさんあ……

あたし『それは蝉が鳴きやんだ瞬間に決めた事やったんやろか?
真夏の緑。
ずっと向こうまで続く並木道。
走り出す合図はあたしの掛け声じゃなかった。
はるさんの走り出した合図は…』

  
 

またうるさい位の蝉が鳴き始めた

  
はるさんああ、次のセミが鳴き出したなぁ。

あたしえー?何か言うたぁー?
…はるさん。
はるさん?
はるさーん…
蝉の鳴き声は右から左から渦を作るみたいに
きっと、「あたし」がはるさんを呼ぶ声も蝉に負けてる

あたし『振り返ると、ただ熱い太陽があった。
ジージワジワジワ ミーンミーンと右から、左から、頭の上から、ずっと向こうの並木道が終わるところまで、全部が、ジーワジワジワジワ、ミーン…と包まれていた。
あたしはすぐアホな事ばっかり考えるから、ふいっと見えなくなったはるさんと、ジワジワ鳴く蝉の声とで』

あたしは・はーん。
セミのシャワーじゃなくて、トンネルやね。
セミのトンネルや。
吸い込まれた!
そうやろ?
はるさん?

あたし『答えはどこからも返ってこーへん。
答えるのは真夏と蝉と太陽だけ。
だからざっくりと、毎日を切り取って文字に変換してここに貼り付ける。
こんな事してここに貼り付ける。
こんな事して、あたしはこの言葉が届くような気にでもなっているんやろうか。
例えば何かの電波にでも手伝ってもらって。
例えば何かのメディアにでも手伝ってもらって。
どこかで目に、耳にとまる事があるかもしれへん。

はるさんへ。
蝉の声を引き金に切ったスタートはどうでしたか?
あのトンネルのような並木道をくぐり抜けたあと、何か見つかりましたか?
たくさんのものを一緒に創ってた、それを仲間とか言うのかもしれへん。
そんなん恥ずかしくて口にするのもおっくうやわ。
誰も気づかへんうちにひっそりと確実に膨れ上がるモノに突き動かされて。
何を思って、何を探そうとして、スタートを切ったんやろ。
でも、きっとそれははるさん以外誰にも分からへん事。
知りたくても、あたしははるさん違うから無理やわ。
それでも。
たった一言、言いたかったこと。
やり残したこと。
「いってらっしゃい」の言葉。
それから。
待ってるわけちゃうけど、大切に残してある一言。
「おかえりなさい」の言葉。
これはもしかしたら使うことはないかもしれへんけど。
ほんまは使いたいわ。いつか。
なぁ、何か見つけられましたか?
トンネルに吸い込まれる前に、ちゃんと言いたかった。

ただ
いってらっしゃいの
その言葉だけでも』