325話(2002年6月21日 ON AIR)
「手品」

作・

久野 那美

私は手品師だった。
日曜日になると公園へ行き、みんなの目の前で帽子を開けて、鳩を出して見せた。

みんなは鳩を見て、大きな拍手をした。
私もその鳩を見て、にっこり笑ってお辞儀をした。
私は、手品師だった。
とても誇らしかった。
そしてそのたびに、何故だかいつも取り残されたような、寂しい気持ちになった。

彼はいつもいちばん前で、目を丸くしてそれを見ていた。
いつも。毎週。何回も。
何度おなじことが繰り返されても、いつも心底不思議そうに、わくわくした目でそれを見ていた。
私にはそれがとても不思議だった。
だから、あの日の夕方。公園の近くの川原で彼にばったり出くわした時、思いきって、私の方から話しかけてみたのだった……。

ねえ。あなた、いつも公園に来てる?

…うん。

彼はまるで帽子から出てくる鳩を見るように、驚いて私を見た。

知ってるわ。いつもいちばん前で見てるでしょ。

……。

手品が好きなの?

……うん。特に帽子から鳩を出すやつが。

…そう。

  
 

私はなんだかどきどきした

  
…あれはね、いちばん難しいの。

…そうだろうね。

……ど、どうして?

だって、仕掛けが全然わからないもの。

…仕掛けなんかないわよ!仕掛けのない手品がいちばん難しいのよ。

そんなのおかしいよ。

何がおかしいの?

仕掛けのない手品なんて…、

ずいぶん練習したの。それでもなかなか出来なかったの。出来るようになるまでに、ずいぶん時間がかかったの。

……。

どうしてだったんだろう?私はなぜか、それまで考えたこともないようなことを、必死になって話していた。

何度も何度も練習したのよ。それでもなかなか出来るようにならなかったの。ねえ、それってどういう事だかわかる?

…わからない。

帽子を開けるたびに、そこにいるはずの鳩がそこにいないっていうことなのよ。

…でも、僕は見たよ。君はいつも大きな白い鳩を帽子からさっと取り出して、人差し指に乗せて…。鳩は白い羽を広げて……。

出来るようになったの。

……。

だからもう失敗したりしないの。
あなたがいつも公園で見ているように、いつでもちゃんと鳩を出すことが出来る。

……。

出来るようになったの。
帽子を開けるたびに、どきどきしながら目を開けることも。もうないの。

……。

ちゃんと出てきた鳩を見てどきどきすることも、もうないの。

  
 

彼はとても困った顔をして私の話を聞いていた
そして言った

  
鳩は、どこにいっちゃったんだろうね。

…………。

私は、私がなくしてしまったのは、いなくなった方の鳩じゃなくて、帽子から出てくるようになった方の鳩なのだということに、そのときはじめて気がついた。
それは悲しい発見だった。彼はとても困った顔をして、不思議そうに、私の顔を見ていた。
私は何も言えなかった。

突然、強い風が吹いてきた。
ぶかぶかの帽子はあっという間に吹き飛ばされて、川の面を滑っていった。
帽子が川下へ運ばれていくのを、私も彼も、黙って見ていた。
大きな夕日が川の面でゆらゆらと揺れていた。
そっちの方はいつまでも流されることなく同じ場所にとどまっていた。

その日を最後に。私は公園で手品をするのをやめた。




にもかかわらず。
手品をしていた私と手品を見ていた彼にとって、あの日はおしまいの日ではなく、長い時間の始まりの日になった。



私はもう二度と、公園で手品をしなかった。
代わりにもっと別の、いろんなことをやった。
出来るようになるのに長い時間かかることもあったけれど、それでもいつしか出来るようになってしまった。
そして、そのたびにひとつずつ何かをなくした。
彼はいつも不思議そうにそれを眺めていた。
帽子から出てくる鳩を見ていたときとまるでおなじ目をして、おなじように眺めていた。
私はそれを見ると、まず、いらいらして、そして羨ましいと思った。
それからとても安らかな、幸せな気持ちになった。
私がなくしてしまったものは、振り返るといつも彼の見ている世界の中に同じ形でしまわれていた。
私がそれを見失いさえしなければ、もうひとりで取り残されることはなかった。



はじめからそうだったのかもしれない。
あの頃……。

「私が手品をしていた」んじゃなくて。
「彼が手品を見ていた」のだ。



あの鳩たちがどこへ行ってしまったのか……もしかしたら彼は知ってるのかもしれないと思うことがある。