第338話 (2002/09/20 ON AIR)
「時の鐘」 作/樋口美友喜

リーリーリー
秋のはじめに鳴く虫
もう夏は姿を消し始めている
そらはもう茜に染まりだした
戻りたい男 …あっ…五百円玉ねぇな…しょうがねぇか。100円、もったいない気もするけど、いいか。奮発しちまえ。
ちゃんとお賽銭を投げ込んでじゃらんじゃらんと鈴を鳴らす
ぱんぱんと勢いよく二回手を打って祈る
急ぐ少女

手、たたいていいの?たたいちゃいけないのはお墓だったっけ?

戻りたい男

え?

振りかえるとしゃれた靴に短いスカート
猫のような女の子

急ぐ少女

穴が開いているお賽銭じゃなきゃ願いは通らないんでしょ?

戻りたい男

あ、ああ。そうなんだ。

急ぐ少女

知らないの?五円か五十円にした?

戻りたい男

いや、100円…。

急ぐ少女

じゃ、無理だ。叶わないよ、その願い。ざーんねん。で・し・た!

戻りたい男 あ、いやぁ…。
急ぐ少女

何人も来て、ちゃりんちゃりんお金投げて祈ってるけど、あれ何人の人の願いが叶ってるんだろ。だめだめだめ、きっとゼロ。だってあたし祈ってたけどちっとも叶ってないもん。だってね、ほかの人の願いが叶ってて、あたしだけが叶ってないなんてありえないじゃない。そんな不公平なもん?神様って。

戻りたい男

不公平なんだよ。

急ぐ少女 あっさりしてる。普通むかついたっていいじゃない。
戻りたい男 あのさ、
急ぐ少女 ということは、あんまり必死なお願いじゃないのね。
戻りたい男

まだなんだ。

急ぐ少女

あたし必死なんだから、どうでもいいお願いだったらしないでよ。そういう人がいるから神様もやる気なくなんのよ、きっと。うん。

戻りたい男

まだ、だから。

急ぐ少女

へ?

戻りたい男

まだ願っていないんだ。

急ぐ少女

え?まだなの?にぶい、おそい、とろいよ。

戻りたい男

だって、今、まさにって時に…。

急ぐ少女

あ…、あっ!あたし?そっか、ごめん。はいどうぞ。邪魔しないから。

戻りたい男

もういいよ。

急ぐ少女

集中とぎれた?

戻りたい男

いや、もともと叶うわけない願いだから。神様にも出来ない事だから。気休めだから。

急ぐ少女

はー、何だ、やっぱり必死じゃないじゃない。気弱ね。

戻りたい男

日、暮れるよ。

急ぐ少女

はい?

戻りたい男

夏ももう終わりだからさ、暮れるの早くなってきてるから。

急ぐ少女

だから?

戻りたい男

暗くなる前に帰ったほうがいいじゃない?子供は。

急ぐ少女

あたしが子供に見える?

戻りたい男

見える。

急ぐ少女

子供がこんな格好するわけないじゃない。

戻りたい男

格好ねぇ。

急ぐ少女

それに今時暗くなるからお家に買えろーなんて、幼稚園児でもいなしないわよ。

戻りたい男

するだろ。

急ぐ少女

あたしはまだ帰りたくないの。勝手でしょ。あたしはやりたいことやるの。だってもう一人で平気だもの。せっかくしけた顔してたから声かけてあげたのに、そんなつまんないこと言う?ばーかみたい。大人ぶって。
やーめた。どっか遊び…あ!

少女は宝物を見つけたみたいに叫んだ

戻りたい男

え?

急ぐ少女

あれ、ほら、あそこ。あの鐘のところの立て札みえる?

戻りたい男

は?ああ、それで走ると…。

と 歩きだそうとしたが

急ぐ少女

いて!

くきっと足をくじいた
戻りたい男は笑いをかみ殺している

急ぐ少女

急ぐ少女

たたた…何?何笑ってんのよ。

戻りたい男

だって、そりゃ無理だろ。その靴。まだ早いよ。それお姉さんのハイヒール?

急ぐ少女

あたしの!これくらい当たり前なの、今の女の子は!

戻りたい男

かなり無理あるよ、それ。擦りむいた?顔に土ついてるよ。

急ぐ少女

え?やだ。

顔をこすると

戻りたい男

あ、こすったら…。

急ぐ少女

え?

戻りたい男

口紅、とれたよ…く、くく…。

急ぐ少女

え?どうしよ…

そう言ってかみ殺していた笑いを噴出する
少女はじっと足を見ている

急ぐ少女

笑うな。

戻りたい男

それはさ、ほら、もうちょっと大きくなってからでもいいんじゃない?

と言っているがほとんど笑ってよくしゃべれない

急ぐ少女

笑うな。

戻りたい男

無理していまから化粧しなっくっても…。

急ぐ少女

笑うな。

泣きそうな少女の声に戻りたい男は笑いをとめた

急ぐ少女

わかってるよ、それくらい。

戻りたい男

え?

急ぐ少女

どうせお願いしても、時間、決まってるもん。

少女は泣きながら走って

戻りたい男

あ、ちょっと、どこ行くの?駄目だよ、そんな所登ったら。勝手に使っていいのかよ、それ。

ごおおおおおおおおん
戻りたい男の声は鐘のねにかき消された

戻りたい男

いいのかよ、勝手に…。

急ぐ少女

読んでよ、その立て札!

戻りたい男

立て札?

急ぐ少女

いくらお祈りしたって叶わないんだもん。もうお願いするのやめる。あたしが時間を短くしてやるんだから!そしたらもっと早く…。

戻りたい男

時の鐘ですから、むやみに鳴らさないでください。

急ぐ少女

たくさん鳴れば、たくさん時間が進むんでしょ?

ごおおん ごおおんと何度も重たい鐘をつく
戻りたい男 また笑いをかみしめた

急ぐ少女

笑いたいなら笑いなさいよ。何よ!

戻りたい男

いや、違うよ。

急ぐ少女

え?

戻りたい男

すぐだよ。そんな時間。急がなくたってすぐにその靴だってぴったりになる。

急ぐ少女

…すぐ?

戻りたい男

その願い事はすぐ叶う。叶わないのは…。

急ぐ少女

叶わないのは?

戻りたい男

今から夏はもう始まらないってこと。

ごおおんごおおんと鐘は沈む夕日を引き戻すことはできないでいる