343話(2002年10月25日 ON AIR)
「冷めるための方法論」

作・

樋口美友喜

  
 

煙を吐く街、鉄の街、色の街、夜の街
細い路地は、向かい側の看板を叩き落とそうとするくらいせめぎあっている
熱をもった女 拡声器で大声を上げた

  
熟女おはようございます。昨日の夜はなまめかしい夜でございましたでしょうか?朝日がやけに目にしみて、ちょっとうつむき加減に歩くのは、“あらひょっとして?二人しか知らないあの部屋の出来事を、もしかして街のみんなは知っているんじゃないかしら?”なんて、あるわけない想像に、してやられる皆さん。

  
 

古いレコードが大音響で鳴らされる
それは懐かしいけど、今聞くとくすぐったいような ばかばかしいような歌

  
熟女おはようって目が覚めることよね。目が覚めるってことは現実が飛び込んでくるってことよね。てことはよ?昨日の夜、繁華街でちょっとイケてるおねえちゃんのナンパに成功して、なだれ込むようにしてベッドに連れ込んだけれど、朝日が差し込むと現実と後悔がこんにちは。

  
 

道行く人は 知らぬ顔

  
熟女ああ、夜のネオンはあきたけじょうでも美しく見せる。

  
 

バタンとホテルの扉が開いて宿主が階段を駆け下りてくる

  
宿主ちょっと、ちょっと。

熟女静かな住宅街に、ラブホテルはんたーい。

宿主これから稼ぎ時って時に「おはようございます」はないんじゃないの?

熟女これから稼ぎ時って時にやるから効果があるんでしょうが。

宿主せめて、朝にやってよ。その台詞は朝に通用するものじゃないの?

熟女やることやって、コトが終わってから文句たれたって何にもならないでしょうが。

宿主ああ、そうね、なるほどね。

熟女今まさにチェック下ろして、右手で取り出そうとしている時に、いやがらせが効果を発揮するんでしょうが。やってスッキリ、シャワーなんて浴びられたら私の声まで洗い流されるでしょうが。

宿主あら、あら、その通りよね、ほんとにね。…なんて言うわけないじゃないの。馬鹿じゃないの、あんた。営業妨害で訴えてやる。

  
 

熱女 大きく息をすった

  
熟女住宅街にそんなぴんくい建物はいらない。責任者でてこーい。

宿主いるじゃないの。

熟女あ?

宿主ここ。

熟女あんた?

宿主そう。

熟女へええ。

宿主へええ、じゃないの。

熟女熱い夜でしたか。ああ、そうですか。何?ここで眠った一夜は特別ってか?

宿主何?今、無視した?ねぇ、無視なの?

熟女排除、排除、はい、排除。ばーか。おー。

宿主…は・はぁーん…あ、そう。

熟女何?

宿主そういうわけね。は・はぁーん。

熟女何?その外人みたいなノリは?

宿主いるのよね。

熟女何?

宿主ドラマ的に言うと、「寂しい女」ってやつ?

熟女誰が?

宿主どうりで、なんかひがんだ声だなーって、だなーって思ってたの。

熟女誰がよ。

宿主そりゃ妨害したくもなるね。だって秋の夜長に一人っきりって虚しいもの。寂しいもの。

熟女ご町内のみな…あー、ちぇっくちぇっく。わんつー。

宿主聞いてる?ねえ、聞いてる?

熟女ご町内の皆様、ご用心。この静かな住宅街のドマンナカにございますー、ラブホテルにはー、狂犬病の犬がいます。

宿主犬は嫌いよ。

熟女ついでにシーツは1週間取り替えません。

宿主失礼ね。毎日ブルーダイヤで洗ってるわよ。

熟女極めつけー!そこのホテルのオーナーは隠し撮りしたビデオで毎日慰めている。

宿主…え?

熟女え?

宿主え?

熟女は?

宿主何で?

熟女何が?

宿主何で知ってるわけ?

  
 

風が ただ通り抜けた

  
熟女あんた…。

宿主何?

熟女寂しいやつね。

宿主あんたに言われたくない。

熟女長いんだもん。

宿主え?

熟女秋の夜は。

宿主中途半端だからいけないのよ。キアツが。カーッと熱くなるか、ゾーっと冷たくなるかどっちかならね。

  
 

風が ただ通り抜けた

  
宿主こうやって吹く風なんか気にならないのに。

熟女あっちの角の部屋は?

宿主え?

熟女どんなのが使ってる?

宿主あ?ああ、高校生じゃない?制服だったし。

熟女マニアってこともあるじゃない。

宿主それはないわ。女学院の制服だもの。あそこの制服あんまり手に入らないし。

熟女となりの部屋は?

宿主会社帰りっぽかった。

熟女不倫?

宿主ほとんどの部屋がそうよ。

熟女ふーん。

  
 

風がまた通り抜ける

  
宿主やっだ。冷えてきたじゃないの。

熟女あ…。

宿主何?

熟女ほら、分からない?

宿主え?

熟女匂い…。

宿主…あら、キンモクセイ?

熟女風に乗ってくるんだ…。

宿主まあ、悪くないね。

熟女え?

宿主窓締め切って、はげんでる奴らはこの香りに気づきもしないんだから。ちょっとお得。

熟女なんか…。

宿主何?

熟女それも、ちょっとひがみっぽいけど。

宿主悪かったわね。

熟女でも…その気持ち分かる。

  
 

風がどんどんキンモクセイを運んでくる

  
熟女お花見?じゃない、お花嗅ぎ?

宿主どうでもいいわよ、呼び方なんか。

熟女あー…。

宿主熟女いいかおり…。

  
 

二人とも、その香りを胸いっぱいに吸い込んだ
熱女 吸い込んだ空気を声にした
拡声器で

  
熟女…半年前から別居している奥さんはどうして妊娠三ヶ月?

宿主まだやる気?

熟女もうやめるわ。馬鹿馬鹿しい。

  
 

熱女 拡声器をほおり出して ただ夜を歩き出した
キンモクセイの香りのするほうへ