348話(2002年11月29日 ON AIR)
「しゃがれた歌うたい」

作・

樋口 美友喜

  
 

これはうそつきの昔話だ

  
歌うたいらー、ららー、らー、らー・・・。

  
 

この歌うたいの声はとてもひどい
咳払いをひとつして歌うたいは話し出しました

  
歌うたい僕が窓辺で「茶色の子瓶」を歌っていると、プエルトリコの少女が涙を流しました。その頃までは、僕はとっても歌がうまかったから。僕が持っている唯一の美しいものが歌声でした。少女の涙はとめどなく、僕の歌声につられて流れて、僕も少女の涙につられて歌いつづけ、そうしてとうとう大きな海がひとつできるまで流れ続けました。涙がすべて流れ出てしまった少女はその海で溺れて死んでしまいました。実は昨日少女から手紙をもらっていたけれど僕はそれを読まずに破いて捨てたのです。だって少女はとても美しくて、どうして僕なんかに本気で恋をするなんて誰が思いますか?僕はてっきりからかわれたと思って、顔を真っ赤にさせて、その手紙をやぶいて下水の横穴にすむ言葉好きのじいさんに食わせてしまったのです。涙の海でガボガボと溺れながら少女は僕に叫んでいた。「ひどい人、ひどい人」本当にひどい。けれどひどいのは僕の心ではなく、僕の顔だ。ここまでひどくなければ、僕だって少女の手紙を受け取ったかもしれない。僕は溺れていく少女を助けようと二階の窓から首を必死に伸ばして、その涙の海水を飲み干そうとしたけれど、海だもの。飲み干せるわけがない。そうして少女も助からない。破裂寸前まで海水を飲みながらあともう少しというところで、少女の二本の足が絡み合って真っ赤にはれ上がって、やがて肉と肉が溶け合う嫌な匂いがしたかと思うと隣が生えてきて少女は人魚になって、水しぶきを上げてその涙の海で泳ぎだしました。そのままにするのは気がひけた。明日の朝には僕はもうエクアドルへと旅だ立たなければいけなかったから、茶色の小瓶に少女と海水をすくっていれてコルクでしっかりと栓をしてボストンバックへと忍ばせた。 列車にはうまく乗り込めた。僕は今でも少女と一緒に旅をしている。しかし問題がひとつ。歌うたいの僕には致命傷がひとつ。海水を飲んだ僕は 咽が塩で焼けてしまって、もう歌うことができなくなってしまったのです。それでも僕は夢をあきらめきれずに、こうやって望みをかけてやってくるのです。

  
 

黙って歌うたいの話を聞いていた女は顔をあげた

  
それは、全部嘘ね?

歌うたいいいえ、すべて本当のことです。

どうやったらそんなにベラベラと嘘が出てくるわけ?

歌うたいどうやったら真実だと信じていただけるのでしょうか?

100人いたら100人とも信じないわよ。

歌うたい見えますか?

え?

歌うたい少女が入っている小瓶ですよ。

うそ。

歌うたい今でも小瓶の中の大海で泳ぎまわっています。時々太陽の光を注いでやらないと機嫌が悪くなる。

もういいわ。あのね、サーカスの人員探しているんじゃないのよ。珍しい生き物を探しているわけでもないの。探しているのは歌のうまい役者よ。役者の素質はあるわよ。デタラメが板についているもの。インパクトあるわよ、その顔。でもこの声じゃねぇ。

歌うたい海水のせいです。

知り合いにショーパブのオーナーがいるわ。そっちに行きなさい。きっと受けるわよ。

歌うたいでも本当に海水のせいでしょうか?もしかして僕の歌声につられて涙を流した少女のように、反対に少女の涙につられて僕の歌声も枯れてしまったのではないでしょうか?

その話は飲んだくれたお客の前でなさい。チップはずんでもらえるから。

歌うたいいいえ、僕の歌声はその涙の源である少女が持っているのです。だってまさに少女は人魚になってしまった。昔から人魚の歌声は魔界のように怪しく美しいというじゃありませんか?それは、そう、僕の歌声。

面接は終わりよ。さっさと出て行きなさい。次ぎの方どうぞ。

歌うたいこのコルクを抜いて少女から僕の歌声を取り戻しましょう。そうすれば、またあの美しい歌声が戻ってくる。それからもう一度僕の歌をきいてもらえませんか?

ちょっといいかげんに…。

  
 

女は言葉を失いました
キュポン
コルクが抜かれるとその小さな小瓶の口からざぁ ざざざざぁ と波があふれ出した

  
歌うたいらー、ららー、ららー、らー・・・。

歌うたいは波に乗って歌いだしました。必死に歌いました。けれどその歌声はちっとも美しくありません。やっぱりひどいままです。ざあん、ざざあんと波はまた大きくその小さな小瓶からあふれました。

歌うたいらー、ららー、ららー、らー・・・。

けれど、やっぱり耳障りなだけの声。

歌うたいらー・・・おかしいですね。らー、ららー・・・。

ふと、海水でびしょびしょになった床を見ると何か小さいものが動いています。歌うたいは指でそれをつまみました。

歌うたい・・・ああ・・・。

それはあの人魚になった少女でした。

歌うたい・・・ああ。

海水からほうり出された少女はエラをひゅーひゅーさせていましたが、やがて・・・。

歌うたい・・・ああ。

動かなくなりました。

歌うたい・・・らー、ららー、らーらららー・・・。

歌うたいは力いっぱい歌いだしまた。しゃがれた汚い声で。涙も混じって余計に耳障りです。歌うたいは美しい声も、いとしい少女もふたつとも永遠に失ってしまいました。

  
 

ざあ ざざざぁ

  
波は大きくうねりました。歌うたいの涙がまたもうひとつの海をつくったのです。

歌うたいらららららー・・・。

あまりに耳障りなので、小瓶に歌うたいをつめこんでコルクで栓をしてやりました。歌うたいは、今でも茶色の小瓶の中で、「茶色の小瓶」を歌っています。

  
 

キュっと女は小瓶に栓をした もう波音は聞こえてこない

  
さあ、もう眠くなってきたかしら?今日のお話はここまでね。明かりを消しなさい。朝になったら全部忘れるから。また明日話してあげるから。だって、これはねぇ、全部嘘なのよ。もし、この小瓶の中から歌うたいの声が聞こえてきたとしてもね、それは全部嘘。おやすみなさい。

  
 

女は明かりを消して部屋を出ていく
かすかに小瓶の中でゆらめく海水から 歌うたいのしゃがれた歌声がきこえたような気がした