396話(2003年10月31日 ON AIR)

「ばくばく」

作・樋口美友喜
夢でしょうかそう思ってくださって結構です
どうぞ、頭から喰っちゃってください。
電現実もすべて、パツンと区切ってしまうほどのスピードで電車が通り過ぎるさっきは気がつかなかったが、私は列車に乗っているのだろう
バク
いいんですか?
どうぞ、どうぞ。
バク
それで、何が見えますかね?
硬い椅子に座って、右を見れば四角い、窓、ですね。
バク
そりゃ電車ですかね?
ええ、JRならフカフカですが、イメージがほら、SLとか夜行列車みたいで。
バク
ああ。
で、その列車の窓から景色がひゅんひゅん通り過ぎて。
バク
ひゅん、ひゅん?
いや、するりか…?するりと私の体の中まですり抜けるような、ええ、するりのほうで。
バク
スピード感だすならひゅんひゅんがいいですがね。
いや、重要なのはこれからで。
バク
ええ、で、それどこに行くんですか?
あてもないです。
バク
果てもないですがね。
窓からするり通りすぎるのは、あれは私の生まれた家でした。母がまだ若い。妹が生まれた日も、父親が出て行ったあの日も、私が家を捨てたあの日も通りすぎました。帰りたくもない家でした。もう忘れたはずの家でした。
バク
あむあむ。
一人で住んでいたアパートも、そこで起きたいざこざも安らぎも全てするりとすり抜け通り過ぎる。
バク
むしゃむしゃ。
そうやって窓から見えていた風景は窓枠を超え、風になびいてこの車内へするりと入り込む。決まっている。私を巻き込んであの家へと連れ戻そうとしているんです。
バク
パクパク。
ほうら、今までの全てが逆戻りを始めましたよ。ちょうど私が、蒔絵のシンの硬い棒のようになってくるくる風景が私を巻き込んでいくんです。
バク
あむあむ。はいはい。そうですかね。
とうとう、終いに母の子宮にまで巻き戻りまして。
バク
ええ、はい。あむあむ。
食べちゃいましたね。
バク
ええ、頭からとおっしゃいましたから。
ええ、そのつもりだったんですが。
バク
いけませんでしたかね?
いつもそうです。
バク
はい?
失くしてしまってからしまったと思うもんなんですね。
バク
そんなもんですかね。
返してもらうわけにはいきませんか?
バク
はぁ?
バリバリ、グシャグシャ、ムシャムシャ
バリバリ、ムシャクシャ、グシャグチャ
私は反対に頭から食ってやりました。もとに戻るかと思いましたから。火花を真っ赤な血のように飛び散らしながら全て食べ終わるとそこで目が覚めました。
ピピピピと嫌な電子音の目覚まし時計
バク
いい加減起きてくれる?
あ…うん。
バク
ねぇ、真珠ならつけてもいいのよね?黒い靴下自分で出してよ。もう時間なんだから。あなたの田舎遠いんだから。
あのさぁ、朝飯は?
バク
えぇ?ああ、もう食べちゃった。
ああ…
バク
何?
ゆめ…
バク
夢が何?早くしてよ。嫌な夢でも見たわけ?
いや…
現実もすべて、パツンと区切ってしまうほどのスピードで電車が通り過ぎる
さっきまで気がつかなかったが、私は妻が苦手なんだろう。
おわり