521話(2006年3月24日 ON AIR)
「 『コーヒー、ブラックで』 それは苦い問題 」

作 / 樋口美友喜

 
 

カランカラン
古い喫茶店のドア

ママ

いらっしゃーい。 ママの声はとっても野太い

ママ

あら僕一人?あとからママ来るの?パパと待ち合わせ?

大人

一人で…

ママ お金持ってるの?
 

大人の僕はじゃらんとカウンターにお金を出して

ママ 持ってりゃいいのよ。何にします?ミルク?コーラ?オレンジジュース?
大人 コーヒーを。
ママ ミルクコーヒーね。
大人

コーヒーを。

ママ

コーヒーミルクね。

大人 ブラックで。
ママ あらまー、ちょーっとまだ僕には早いんじゃないかしら。
大人 350円。
ママ

うん?

大人

払えばいいんでしょ。コーヒー、ブラックで。

ママ

ちょっと!あんたちょっとお待ち!

大人

え?

ママ

払えばいいってもんじゃないよ。そりゃお金第一よ。長いものにも巻かれるアタシよ。
だけどね、こっちは違いの分かるお客を相手に商売して何十年。鼻たらしてる僕ちゃんに分かる?
このアタシ のコーヒーの味が、深みが、良さが、香りが。あんたウチの店の名前分かってる?はい読んでごらん。

大人 大人のコーヒー屋。
ママ よくできました。分かった?ミルクコーヒーでいいね?
大人 おじさん何言ってんの?だから、その大人のコーヒー、ブラックで!
ママ

あんた人の話全く聞いてないね。しかも今大きな間違いしでかしたね。

大人 あのさ、僕、お客なんだけど。早く出して。
ママ

消費者になれば一人前だってすぐ勘違いするんだから最近の子は。
大人になんなきゃ分からない味ってもんがあるの。今飲んだってね、苦いだけよ。大人になってからお飲みなさい。

大人 だから今飲むんだよ
ママ

はい?

大人 飲みきったら、大人になるんだから。飲みきったら、大人になれるんだから。
ママ ?何よ僕ちゃん。
大人

早くなりたいから。大人がすること、全部するんだから。
野太い声のママは、コポコポ、暖かいコーヒーを僕にいれてあげる

ママ そこまで言うなら試してごらんなさいよ。ブラックで。
コトリとカウンターに置かれたコーヒーカップゆっくりと、大人になりたい僕は一口飲んでみた
大人

…まずい。

ママ

苦いって表現するのよその味は!

大人 …飲みきれるかな…
ママ 残すんじゃないわよ。
 

がんばってゴクリとまた大人になりたい僕はコーヒーを飲み込む

ママ ねぇ、僕ちゃん。飲みきって大人になったとして、あんた何したいの?
大人 …一人で、生きる。
ママ

は?

大人 誰にも、頼らずに。大人になったら、あの家を出たって、いいんだ。
ママ

ああん、そうねぇ。
家を出たから大人になるのか、年くったからなるのか、税金払ったらなるのか、ブラック飲めたらなるのか・・・
言われてみれば、そうね、これ、結構苦い問題だわね。

 

ごくり、大人になりたい僕はまた一口我慢して飲んでみた

大人

うわぁ。やっぱ苦いやぁ…
苦いのを我慢して、僕らは大人になっていくのだろうか

 

END



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