564話(2007年1月20日 ON AIR)
「 坂 」

作 /大正まろん

やあねぇ。

何だ。

そんなに息切らしちゃって。

なんだこの坂は、まったく・・・年寄りの来る場所じゃない。

私は平気よ。だから一緒にウォーキングしましょって言ってるのに。

目的もなくただ歩くなんて、バカのすることだ。

はいはい。

まさかお前、

なんです?

ただ歩かせるために、この坂を登ってるんじゃあるまいな。

違いますよ。

だったら、どこへ行くつもりなんだ。

ふふふ・・・懐かしいわ。昔、この坂を番頭さんに付いて何度も登ったのよ。できたての靴を抱えて。

できたての靴?

私の奉公先、靴屋さんだったの。言ったことなかったかしら。

聞いたかな。

この坂の上に外人さんがたくさん住んでいてね。皆お得意さんだった。今でも、まだいくつかお屋敷が残ってて、見学できたり、レストランになってたりするらしいわ。

異人館とか言うんだろ。

ご存知でしたか。

ワシは興味ないぞ。見たいならお前だけ行ってこい。

あら、もうギブアップですか。

そんな事は、言っとらん。

あともう少しですよ。

だから、目的地はどこだと聞いてるんだ。

ねえ、振り返ってご覧なさいよ。随分登ってきましたよ。ほら、海が、キラキラしてる。

ああ。

私たち今まで、こんな風な苦しい上り坂ばかりでしたねぇ。

お前、ひょっとして・・・。

何です。

り、離婚か?離婚したいのか?

え?

知らないとでも思ってたのか。ワシの居ないところで、こそこそ娘たちと良からぬ相談をしてたろ。

そんな事してませんよ。

しかし、

ある時ね、靴屋で火事が起きたの。焼け出されてしまった私たちに、部屋を貸してくれた方がいたわ。外人さんのおばあちゃま。言葉は通じないんだけれど、まるでお客様のように親切にしていただいた。朝日が差し込む、朝食を食べるだけのための部屋。宝石のようなシャンデリアのあるパーティルーム。あったかい暖炉、お姫様の眠るようなベッド。まるでおとぎ話のような暮らしだった。

すまんと思ってる、これまでなんの贅沢もさせてやれずにいて。

あすこ。

え?

あの山の中に見える緑の屋根のお屋敷。あすこにしばらく居たの。あなたとの縁談が決まって、ちゃんとご挨拶もしないまま・・・あれから、もう六十年、ううん七十年近く・・・。あのお屋敷が、まだ生き残ってたって知った時は驚いたわ。

会社もようやく、いい形でスミエとヒデオ君が引き継いだ。
これからじゃないか、そうお前もとも話をしたろう?

反対ですよ。

何に反対なんだ。

離婚じゃなくて、結婚式。

へ・・・。

まだしてなかったでしょう。娘や孫たちも、あのお屋敷で待ってくれてるの。

結婚式?

私たちのね。

え、何だって?

やあねえ、耳まで遠くなっちゃったの?・・・ほら、あともう少し、頑張って登りますよ。

終わってまた始まる
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