579話(2007年5月5日 ON AIR)
「 孝治。まだまだ修行中です。 」

作 /ごまのはえ

ゲスト出演/山本 操

孝治

北陸は今も肌寒い。僕は兄のような立派な板前になるため、ここ北陸金沢の老舗旅館で修行をしていた。その時だ。あの人を見たのは。

   
 

お運びの女中さん(冬子)がガチャガチャ音を立てて廊下を歩く。
その女中さん(冬子)に孝治が声をかける。

   
孝治

「姉さん?…もしかして冬子姉さん?」

冬子

「え?…孝治さん…。」

   
孝治

それは兄の嫁、冬子さんでした。冬子さんは一年前兄の家を飛び出したきり連絡がつきませんでした。まさかこんなところにいたなんて…。

   
冬子

「孝治さん。ほんとに孝治さんなのね。まさかこんなところで会うなんて。」

孝治

「それは僕のセリフですよ。いったいどうして、えぇいまどろっこしい。何から聞けばいいのか」

冬子

「落ち着いて孝治さん。慌てなくても順をおって話すから」

孝治

「そうですよ冬子さん。あなたには説明する義務がある。いったいどうして突然家出なんかしたんです。」

   
孝治

兄と冬子さんは弟の僕から見ても羨ましいくらいの夫婦でした。兄は小さな小料理屋を開いていますが、冬子さんはその良きパートナーとして兄を支えていました。何もかもうまくいっている。そう見えたのもつかの間、冬子さんは突然家出をしてしまったのです。兄はただ呆然とするばかり…

   
冬子

「正彦さんには申し訳のないことをしたと思ってる。でもそうするより仕方なかったの。」

孝治

「仕方なかったって?どうして?」

冬子

「それはね。…私は冬子、冬に生まれた、冬の女だから…」

   
 

冬子の独り語り始まる。由紀さおり「夜明けのスキャット」イン。

   
冬子

「私はね、幸せが怖いの。この手で幸せをつかもうとすると、すぐそれは壊れてしまう。そしてその時に回りにいる人を巻き添えにしてね。きっとそういう女なの。不幸の星に生まれついた女。」

孝治

「そんな…、そんな理由ってないよ。一人でそんな風に思いつめるなんて。兄さんがどれだけ冬子さんのことを、」

冬子

「わかってる。わかってるの孝治さん。でもこれは私の思い込みじゃないの。」

孝治

「嘘だ!適当なこと言ってら!冬子さんは兄さんが嫌いになってそれで逃げ出しただけなんだ!」

冬子

「黙って聞きなさい!!」

孝治

(冬子の必死の形相に心を打たれ)「姉さん…」

冬子

「私は冬子。冬の女。最初に付き合った男の人は交通事故で死んだわ。まったく思いがけない突然の終わりだった。でもそれがすべてのはじまりでもあったの。二番目に付き合った人は住んでいたアパートごと火事にあった。三番目に付き合った人は会社のお金を使い込んでくびになった。四番目と五番目は真面目なサラリーマンだったけどパチンコにはまってサラ金地獄に。六番目は競馬。七番目は競艇。八番目と九番目は運河に落ちた。十番目はサメ。十一番目は熊。十二番は津波。十三番から十八番目は毒キノコに。十九番目は雷。二十番はアイアンで後頭部を。二十一番と二十二番は…(以下適当に続ける)

   
孝治

十九番から先はもう覚えていませんでした。いや聞いてはいたんですが頭がボーっとしちゃって。いったい人間って生涯に何人くらいの人と付き合うのでしょうか?平均とか聞いても意味ないでしょうけど。知っておきたいお年頃です。だって孝治は、まだまだ修行中ですから!

おわり
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