614話(2008年1月5日 ON AIR)
七生(ななせい)

作 /樋口美友喜

どうやら僕はうっかり死んでしまったようです。

 

遠くから、うおぉぉっと苦しむ声、意味不明の鬼の急き立てるような声

三途の川渡ったて、死人は七回裁判を受けるのがシキタリらしく。人殺ししてないか、人のもの盗んだりしてないか、乱交してないか、項目事に細かく裁かれて、で、最後の七回目の裁判の結果、次ぎに生まれ変わる世界を選ばせてくれるらしいんだけど、最後で問題が起きて。

裁判官

うーわ、ごめんね。こんなことマジありえないんだけど。

と言ったのは、七回目の最高裁判官。これがエンマか。で、何が問題かって、書類がなくなっちゃったみたいで。ええ、僕のね。一審から六審まで問題なく進んできた僕の裁判書類が紛失したようで、最高裁判官は下っ端の書記?みたいな子鬼に怒ってるわけ。

裁判官

だからさ、マジ困るんですけど。

まるで女子高校生みたいに見えるエンマ。人間、死ななきゃ分からないなって感心するばかりです。書類がなくっちゃ最後の審判が下せないらしく、思わず言ってしまった。「書類の不手際ってありますよね。生きている間もね、年金のデータがないとか…」

裁判官

七生(ななお)サン、ここはさ、もうチョー地獄なんですけど。生きていたころのこととかあんまり執着しないほうがいいと思うよ。自分を寂しくさせんなよ。え?何?あった?

 

意味不明の言葉を言いながら子鬼が書類を差し出す

裁判官

見つかったの?やれば出来るんじゃん、って!おい、偽装書類出してんじゃねーよ。あきらか偽装。だって七生サン、あんた男だよね?

「ええ、もちろん」

裁判官

これ仕事だよ?鬼でも給料もらってんだよ?そこいらの針山とかで突き刺さってる死人からの税金で生きてるんだよ?適当に仕事してんじゃねーよ。

「ああ、生きているころもありましたよ。その手の問題って、ええ!?死んでからも税金あるんですか?」

裁判官

七生サン、鬼だって生きてるんだからさ。そこらへんは理解しめしてよ。あ、ちょっと待って。タイムカードだけ押してくるから。

「ええ!それはつまり、」

裁判官

サービス残業なんですけど。

「地獄の制度と人間の制度って似てますよね。天国の制度もこんな感じですか?」

裁判官

七生サン、天国なんてないよ。地獄しかない。あんたらが思う天国は七回目の生まれのことを言ってるの。人は六回生まれ変わってその次の七回めで安らぎの世界に生まれ変われる。天国に行きつくまでに、心休まる世界までの道のりは遠いんですけど。さて。

どうやら、一度通り抜けた裁判所に差し戻しは出来ない制度らしく、仕方がないので裁判官が僕の裁判を一からやり直すのだ。

裁判官

分かってると思うけど、ここではすべてを正直にね。

驚いたことに地獄は自己申告制なのだ。だから僕は一審から六審までで自己申告した内容を言う。「普通の人生でした。事件も問題もなく。中の下って大学を出て会社入って結婚して、三年たって子どもも出来ないうちに仕事現場ですべって死んじゃいました。」

裁判官

そんな何もない人生ってありえなくない?七生サン。溯ってみてよ。あんた何にすべったの?どこで?結局死因は?死んだ時何思ってた?

「死ぬ直前のことはよく思い出せません。仕事で建設中のビルにいて、メットかぶって、足場がね、寒くて霜が降りてたのか、つるっと。死因は、落っこちたせいでしょうね」

裁判官

事故?じゃ悔しいね。悲しいね。時間戻したいね。でさぁ、生きてて楽しかった?

楽しかった、か?

 

地獄の呻き声から、日常の音ばかりが僕の耳に飛び込んでくる

「おはよう」と妻。テレビがうるさい。マンションの階段を降りる音。通勤電車、その車内。車のクラクション、会社の雑音、女子社員が笑う。うるさい。五時のチャイム、帰り道の飲み屋街、終電、タクシーのウィンカー、マンションの扉を開けると、妻の寝息だけ。家賃滞納してるんだったっけ。やばいなぁ。ボーナスは期待できないし。またカード使ったのかこいつ。子どもほしいって言うわりにはそんな金ないぞ。ああ、来月は友だちの結婚式、イタイなぁ3万円、それから何か言ったっけ?そうだ、「ああ、こんなもんかぁ」と。

 

カーンカーンと建設現場の音

次の日、空が晴れていて。仕事現場の足場、スキマだらけの床から遠い地面を覗いていた。高層だから風が強い。僕はなんとなぁく、なんとなぁく、体を地面へとずらしていった。なんとなぁく。思い出してきた。ああ、こんなもんかと思った時から、僕は考えていたのかもしれない。「落ちてみるかぁ…」

 

ビョオオオオオオオオと高層ビルの間を吹き抜ける風
その風の音が、いつの間にか地獄の音に変わって、僕はやっぱり地獄にいる

裁判官

何だ、やっぱりなんとなく自殺じゃん。

さすがエンマ。全てお見通しか。

裁判官

七生サン、判決が出たよ。知ってるね?もう永遠に安らぎの世界にはいけないんだよ。

 

苦悩の声ばかりが響く、地獄

   
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