625話(2008年3月22日 ON AIR)

「海の音が聞こえる」

作・大沢秋生(ニュートラル)
登場人物
ハルオ:男
アスカ:女
小さく、波の音が聞こえている。
ねえ、ハルオ。
ん?
昨日、寝言で笑ってたよ。
笑ってた?・・・何が楽しかったんだろうなぁ。
笑いながら、それはエビじゃないよって、言ってた。
エビ?食べ物の夢か。お腹が空いてたのかなぁ。
釣ってたんじゃないの?
釣る?そうか、釣りか、釣りの夢を見てたんだ。
楽しそうだったよ。
全然覚えてないなぁ。
夢の中でも楽しそうで、幸せだよね、ハルオは。
いやぁ、でもなぁ、全然覚えてないから、なんか勿体ないなぁ。
何度も声出して笑うから、私もそのたび目が覚めちゃって。
ごめんごめん、いや、眠っていたとはいえ、悪いことをしたなぁ。
いいよ。だって、あんなに楽しそうに笑ってて。
覚えてないなぁ。いや、しかし待てよ?エビじゃないってことは、一体何を釣ったんだろう?
ザリガニじゃないの?
ああ、そうだ、きっとそうだ!
子供の頃の夢を見てたんじゃない?
そうか!
隣に誰かいたんだよ。その誰かがザリガニを釣って、エビだエビだって喜んだんじゃないかな?
ああ!そうだな、きっと。で、それを見て僕が、それはエビじゃないよ~って言いながら、おかしくなって笑ったんだな。
そういうことがあったの?
あったかも知れないなぁ。でも、覚えてないよ、昔のことだから。
昔のことでも、覚えてる事だって色々あるじゃない。
そうだな。
ザリガニを釣ったのは、私かも知れないし。
そうなの?
ふふふ。
アスカがザリガニを?
ふふふふ。
玄関のチャイムが鳴る。
はーい。
女、玄関へ行くスリッパの音。
お帰りなさーい(と、ドアを開ける)・・・あれ?
女、ドアを閉めて戻ってくる。
波の音は既に消えている。
(軽くため息をついて)おかしいなぁ。今、チャイムが鳴った気がしたんだけど、空耳だったのかな。なんだかドアを開けたらそこに、ハルオが立ってるような気がして。でも、ドアの向こうには誰もいなくて、咲きかけの桜の木が見えてた。ハルオが亡くなってもう3年になるけど、今でも時々、彼はまだ生きてるんじゃないかって思う時がある。・・・海の音が聞こえてくるの。そうすると、記憶がね、ものすごくはっきりと蘇ってきて、そしたら、それはもうそこにあるような気がするの。ハルオも、今ここにいるような気がしてくる。
波の音が聞こえている。
ねえ、ハルオ。
うん。
いるよね。
ああ、いるよ。
波の音。
おしまい