629話(2008年4月19日 ON AIR)
「 花々埋葬列車 」

作 /樋口美友喜

花粉症

ハックション。

 

ズズっと鼻をすするのは花粉症の男
少し、酔っているようにみえる

花粉症

だって春だから。黒と茶色と灰色のコートなんてタンスの奥にしまっちゃって、そのかわりに淡いピンク、目の覚めるようなブルー、真っ赤に、黄色、町がやたらと明るくなる。だって春だもん。やたらと人が多いように感じる町の真ん中交差点。きっと冬眠から這い出してきたやつらだってゴマンといるだろう。だって春なんだから。卒業だ、終わりだ、お別れだ、それは同時に始まりで、出会いで、新たな一歩って浮かれるんでしょ?春ってやつは。目の前鮮やかハレバレの空。目標なんて立てちゃって、会社帰りのお稽古とか始めちゃうんでしょ?春にかこつけて。視界がはっきりしている人はウラヤマシイねぇハックション。俺なんてくしゃみと涙とヨダレで視界ぼやけちまってぇっくしょん。見通し悪いの。クリアじゃないと駄目ね。どこ行きゃいいか、わかんないってぇっくしょん。

駅長

すいません。

花粉症

え?ああ、は、は、ハ、ハックションんでしょう?

駅長

すいません。

花粉症

なんでしょう?

駅長

終点ですよ。

花粉症

は?

駅長

この電車は車庫に入りますから。ここが終点です。

花粉症

はい?

 

ピロロロロロと、ドアが閉まる合図の音が鳴りつづけて

花粉症

しゅう、てん?

駅長

ええ、降りてください。このままだと車庫に入ってしまいますから。ほら、

花粉症

え、

駅長

ほら、

花粉症

え、

駅長

ほら早く。

花粉症

ハックッション。

 

プシュウウウウとドアが閉まる
ゆっくりと電車が走りだす

駅長

良かった。車庫に入らずに済みましたね。

花粉症

あれ、しまった。寝過ごした…?

駅長

いくら揺すっても起きてくれないからどうしよかと。

花粉症

あれ、しまった。ここどこだ。

駅長

終点です。

花粉症

終点って、えこれJR?メトロ?何線?どこの駅?

駅長

いやですね。終点は終点以外ありませんよ。

花粉症

だって、あれ。っかしいな。こんな駅、見たことな、な、なっくしょん。

駅長

改札は向こうです。

花粉症

いや、ちょっと、すいません。花粉症ひどくってぇっくしょん。くしゃみと涙で、視界がぼやけて、よく見えなくて。

駅長

それは大変ですね。涙で滲んでよく見えないと?

花粉症

ええ、ひどいもんでぇっくしょん。

駅長

大丈夫。春が過ぎれば治まるものでしょう?

花粉症

花粉のせいです。うっかり寝過ごしてしまったのも。やけに眠たくもなるから困るんですよ花粉ってぇっくしょ。

駅長

大丈夫。次の電車が出発するころには鮮明になってますよ。

花粉症

…は?次の電車?

駅長

ええ。いつ頃出発するかは、存じませんけど。

花粉症

存じませんって…?

 

ゴォォと風が吹いたような気がした

駅長

ああ、ほら、風に乗って、

花粉症

え?

駅長

花びら、桜でしょうか?ほら、向こうに。見えますか?色とりどりの、鮮やかな、生き生きとした町が、ほら向こうに。桜までも、あんなに鮮明に。

 

花粉症の男は駅長が指指すその方向、じっと見つめてみるが

花粉症

あれ、しまった。くしゃみと涙とヨダレで、視界が、ぼやけちまってぇっくしょん。見通し悪い。クリアじゃないから。ぼやけすぎて、どこ行きゃいいか、どこまで来ちまったのか…わかんないってぇっくしょん!

 

花粉症の男の視界はぼやけ続けて
花々を乗せた次の電車に乗るころには
きっと男そのものも、やがて消えてなくなるだろう

   
おしまい
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