662話(2008年12月6日 ON AIR)

「明日から人妻」

作・ごまのはえ
秋の夜道。住宅街。女が一人歩いている。
あるく。あるく。あるく。角を曲がれば金木犀の香り。気持ちいい。
明日から二人。今日が最後の一人のよる。
最後の夜の最後の帰り道。
嬉しい。
あんなに好きだったあいつの顔も、あいつの顔も、あいつもあいつも、みんな思い出せない。ぼんやりした輪郭と、よく着ていた服、髪型。それくらいしか思い出せなくて、顔はぼんやりのっぺらぼう。
みんな、ありがとう!ほんとにほんとにありがとう!
遠くから若い男の影。
こつこつと靴音が響く。
なんだろうあの人。こんな時間に。って私もそうだけど。男の人だ。怖い。曲がろう。
女は角を曲がる。
私もついに人妻か、人妻‥‥大丈夫。あの母だって人妻なんだもん。私だって、人妻よ。あ、また、あの人、
またもこつこつと靴音。若い男がやってくる。
痴漢?でもちゃんとスーツ着てるし。私を追ってるのかも。もう帰ろう。
女はUターンして帰りをいそぐ。
もうやめなきゃな、夜の散歩も。危ないわ。やっぱ。でも、顔は見えなかったけど、もしかして好みかも。‥いい感じの細いスーツ。あれって本当に似合う人、案外少ないのよね。何か探してたのかな‥って、いかんいかん。明日から人妻だ。
さてと、今日はもう寝なきゃ。
女は自宅マンションの前までくる。
こつこつと若い男の靴音。
あれ?また、あの人‥。
私の30メートルほど向かいに、またあの男の人がいました。私は目を伏せてはやあしで歩きだしました。その人との距離がどんどん近付く。もし呼び止められたらどうしよう。肩でもつかまれたらすぐに大声出さなきゃ。そう思いながら、歩いていると、暗い地面に、何か黒いもの、あ、サイフだ。
あ、ありがとうございます。
え?
そのサイフ、ぼくのです。どうも。
あ、そうですか、
ぜひお礼させてください。
いえ、そんなとんでもない。
いえいえ、ほんと助かりましたから、
いえ、ほんと困りますから、
‥そうですか、
場面かわって女の部屋。
部屋についてからも、あの笑顔が忘れられない。やばい。すっげーかっこよかった。メチャメチャ好みのタイプかも。お礼うければよかったな。メールアドレス交換すればよかった。‥いかん、なに考えてるの私。人妻、人妻、わたし人妻だってば!‥‥優しそうだったなー。って駄目だって。人妻なんだから。
旦那のこと考えよう。旦那のこと。
‥‥
あれ?思い出せない。旦那の顔。
ベットの上で私は旦那にメールした。
「サ・ビ・シ・イ・ヨ・ウ」
おわり