74話(1997年8月29日 ON AIR)

「アニムス」

作・腹筋 善之介
 
(三味線の音がジャン!となる。)
夢探偵
あなたは、毎晩毎夜同じ夢を見て、不思議に思った事はありませんか? 悪夢にうなされたことはありませんか?
(三味線の音がジャン!となる。)
私は、普段は夢占いを生業としています。
しかしそれは表向きの事。
本業は、夢探偵と申しますか、人の心、もしくは夢の中に入り込み、自己発見の手助けなどをいたします。
しかし、最近は、過去の記憶を消してくれと言う依頼が多いのです。
不思議なことがたくさんありましたが、そのうちの一つをお話ししましょう。
これは、まだ私が若かった頃、和歌山の大塔村というところの川沿いで、キャンプをしていた時のことです。
ある女
「すみません。あのー」
夢探偵
「はい?」
ある女
「あの、あなたが過去の記憶を消す事が出来ると聞いて…」
夢探偵
「は?」
ある女
「お願いです、消してほしいのです。今すぐに。」
夢探偵
「いや、今すぐにといわれても。 休暇を取って、遊びに来てるんで …」
ある女
「わかっています。お願いです。今すぐ消してください。」
夢探偵
「消すといっても、ほんの少し忘れる程度ですよ。」
夢探偵
私は、その女に見据えられ体が硬直してしまいました。
とても断ることが出来ないと思いました。
しかしどこで私のことを知ったのだろうとは、そのとき思いませんでした。
夢探偵
「わ、分かりました。視てみましょう。」
ある女
「よかった。ごめんなさい、こんなところまで押し掛けてしまって。
びっくりされたでしょう。でも、ホントよかった。」
夢探偵
「いいですよ。今すぐ視ましょう。」
ある女
「お願いします。」
夢探偵
「じゃあ、ここに座って。」
夢探偵
なぜあの時、こんな山奥のキャンプ場に女一人で訪ねてくることがあるのだろうとは、そのとき思いませんでした。
(三味線の音が、少しづつ入ってくる)
夢探偵
「じゃぁ、ここに座って。」
ある女
「はい。」
夢探偵
「質問しますね。もし答えるのがいやなときは、何も言わなくていいですよ。 まず名前は?」
ある女
「和歌子といいます。18歳です。」
夢探偵
「18歳ですか。…あっ、いや、過去を消してほしいという人は、大概年寄りですからね。」
ある女
「すみません。」
夢探偵
「謝ることないですよ。日が沈んできましたね。ヒグラシの声が一段と聞こえる。…」
(ヒグラシの声が聞こえてくる)
ある女
「…あの人と初めて会ったのも、こんな日のこんな時間でした。」
夢探偵
「水場の近くですね。」
ある女
「ええ、川岸の冷たい石の上に、私は座っていました。」
夢探偵
ここまでで、大概の人の心は見えてきて、すぐに治療に取りかかるのだが、この和歌子と名乗る女性は全く見えてこなかった。
しかし、私の術にかかったのか、過去について話し出した。
和歌子
一瞬目があったんです。
そのとき、私はその人に心奪われたのです。
何てすてきな人なんだろう。こんな人が、この世に存在するなんて。
その日から、川遊びに来るあの人をいつも見ていました。
じっと、見ていました。あの人は、気付いてもいないでしょうが。
夏が過ぎて、秋になりあの人はもう川には来なくなりました。
私は、意を決して会いに行ったのです。
私の目に狂いはありませんでした。あの人は、とても優しいのです。
もう私は夢中でした。
あの人に会うことだけを考えて過ごしました。
私の中に、恋というものをあの人は植え付けたのです。
夢探偵
どうやらこの男の記憶を消してほしいのでしょう。
よくあることです。
私は、ゆっくりと和歌子さんの意識と夢の狭間に入って行くことにしました。
心のリズムを、同調させていくのです。
和歌子
紅葉が真っ赤になった頃、もう会えないというのです。
もう会えないと。
なぜ会えないのか、理由など私の耳には入ってきませんでした。
だって、もう会えないというんですもの。
こんなに寒くなっても、会いたくてきているのに。
会えないというんです。
夢探偵
こういう場合、無意識の中に潜んでいる、未熟な男性原理というもののイメージを成長させればいい。
少し専門的な事ですが、未熟な男性原理というのは、ユングの言う集合的無意識のアニムスに当たるものです。
女性が未発達のまま心の中に持っている、男性的な知性や理念や決断力のことです。
女性がしっかりと物事が分かる完成した女になるため必要なことなのです。
(三味線の音が、少しずつ大きくなってゆく)
和歌子
「あの人のことを考えると、この身が引きちぎれそうになるのです。 助けて下さい。」
(無意識の中に入っていく夢探偵)
夢探偵
とても暑い。こんなことは初めてでした。
和歌子
「忘れさせてください」
夢探偵
この人の無意識の中は、焼けるように暑い。
恋い焦いたがれると言うがこれほどまでとは。
ものすごいエネルギーが今にも爆発しそうでした。
とにかく、その男を捜しだし、そこにとどまっている意識を解放しなければ和歌子さんは、本当に心が焼き尽くされてしまうでしょう。
和歌子
「忘れようとしても忘れられないのです。会えないといったあの人の事。」
(三味線の音が一段と大きくなってゆく)
夢探偵
居た!何てことでしょう、逃げて行くのです。こんなことも初めてでした。
私は、彼を追いかけました。無意識の中を走り去ろうとする男を。
和歌子
「何度も何度も会おうとしました。しかし、会ってもくれないんです話すらしてくれないんです。会いたいのに。彼を捕まえるの。」
夢探偵
その男は、山の小道を駆けていきました。
私は追いかける。
その男古ぼけたお寺に入り込む。
わたしも、入り込む。
和歌子
「早く、早く、捕まえるの。」
夢探偵
私の体は燃えるように暑くなっていました。
その男は、お寺の鐘の中に逃げ込みました。
和歌子
「鐘ごと、鐘ごとつかまえるの。早く。」
夢探偵
私は、鐘のところまでいきました。
なぜ私は和歌子の言うことを聞いているのだろうとは、そのとき思いませんでした。
和歌子
「憎らしい。会わないといった。憎らしい。ニクラシイ」
夢探偵
私の、体の熱のせいからか、鐘が溶けだしました。
そばで、小さい女の子が泣いていました。
鐘が完全に溶けると、その女の子は泣きやみ、すくっと立ち、にこりと笑って消えていきました。
なぜ、あの男も、今の女の子も着物を着ていたのだろうとは、そのとき思いませんでした。 
夢探偵
気がつくと、和歌子さんはもう居ませんでした。
真っ赤な夕焼けだけが空に残っていました。
今日最後の力を振り絞ってヒグラシが鳴く中、日置川のほとりに、飯ごう炊さんのため、水をくみにいきました。
すると、石の上に、脱皮したての白い蛇が、こっちをずっと見ていました。
にこりと笑ったかのように見えたとき、スルスルと、闇の中に消えていったのでした。
(三味線が鳴り響く)