85話(1997年11月14日 ON AIR)

「散歩道」

作・松田 正隆
登場人物
1.男
2.女
…町の遊歩道を歩く老いた夫婦。(ただし、必ずしも年老いた演技をする必要はない)
遠くで雑踏の音。
覚えてるかい?
何をです?
前にもこの道を歩いたことがあるんだ。
君と二人で…。
そうでした?
そうだよ。忘れたの?
…ええ。
何だい。しょうがないなあ。
いやだって、初めて歩く道だとばかり思ってたから。
初めてじゃないよ。見覚えあるだろ。そこの公園とか…。
私はさっきから気づいてたんだよ。
あら、そうなの…。
そうなのって…。
まあねえ…このあたりはどこも同じようなもんですから。
そんなことないよ。ちゃんと、少しずつ他の場所との違いがあるんだから。
そうかしら。
そうだって…。えっと…いつだったかな…ここ来たの。
じゃあ、ずいぶんと昔のことでしょう。
うん、そうかもしれないけど。確かに来たはずなんだ。あ、ほら、あのポスト…赤いだろ。
ポストは赤いもんなんです。何言ってるんです。
いやいや、他より妙に赤いじゃないか。
そうですか…。
あのポスト、見覚えあるだろ。
いいえ。
どうして、あれ見たら思い出すじゃないか。
だから何を。
何をって、ほら…。だから、それを今思い出せないんじゃないか。
もういいじゃありませんか。
いやだって、くやしいじゃないか。
じゃあ、来たんですよ。歩いたんです、この道…。私も思い出しました。…これでいいでしょう。
何だよ、それ。
だって、きりがないじゃありませんか。…それにほんとに歩いたかもしれませんよ。この町はまるで迷路なんですから、いつの日だったか、この道を気づかないうちに通ったのかもしれないわ。
…。
だって、もう永い間…、この町にいるんですから、私たち。
…そうだね…。
…間。
ねぇ。
うん?
あのベンチから町が見えますよ。行きましょう。
うん。
…二人、町を見下ろす高台のベンチにすわる。
…私たちが生まれ、私たちが生きて来た町ですよ。
…ほんとだ、…これじゃ迷子になってしまうね。
でしょう…何だかとりとめもなくて…。
…間。
…でも、どうしてまた、ここから町が見えるって知ってたんだい。
え?あら…そうね…。どうしてかしら。
ほら、やっぱり。…ね、そうだろ、私たちは以前、ここに来たことがあったんだよ。
…ええ…。そうかもしれませんね。
そうだよ。
…でも、何をしに来たのかしら、こんなところまで…。
プロポーズをしたんだよ。
ええ?
ここで夜景を見ながら。
ほんとに?
いいじゃないか、そういうことにしとこうよ。
何よ、それ。
いいよもう、そういうことにしておけば…。どうせ思い出せないんだから…。
そうですね、私たち夫婦なんだから、そういうことも、一度や二度あったでしょう。
…間。
…ずいぶん寒くなりましたね。
うん。
さ、陽が暮れますよ。…帰りましょう。
帰る?
ええ。
…どこに。
え?
どこにかえるんだい。
家にですよ。私たちの。
…家?私たちの…。
そうですよ。何言ってるんですか。
…あ、そうか…忘れてた…。
…二人、立ちあがる。
でも…それはどこにあるんだい?
どこにって…え?…。ほんと…どこにあるんでしょう。
…二人たたずむ。そして途方に暮れる。 …街の雑踏がわきあがる。