864話(2012年10月20日 ON AIR)

「なにもない部屋」

作・山内直哉
玄関のドアを閉める音
お邪魔します
買って来てくれた?
買って来た
ありがとう
執筆は進んでる?
進んでない
まあ、蛍光灯取り換えたらきっと上手く行くよ
上手く行ったらいいんだけど
しかし、よく住もうと思ったよね。ブラック物件だっけ?
正式には、心理的瑕疵(カシ)物件って言うみたいだけど
カシ物件?
欠陥のある物件
なるほど。大きな欠陥だよね
俺はそういうの気にしないから
大家さんも内緒にしたらいいのに。何で言うかな
義務らしいよ。自殺と殺傷事件の場合は10年
あの、具体的に言わないでくれる?
いや、俺も詳しくは聞いてないから
あ、詳しくは聞いてないんだ
前の住人がココで亡くなったってことだけしか聞いてない
具体的に言わないで
いや、そういうのって気持ちの問題だから。気にしなければいいんだよ
まあ、確かに、気持ちの問題だよね。実際、なにもない部屋でも、幽霊が出るって言われたら、出るような気がするもん
そうなんだよ。だから、見ちゃうんだよ
え、見ちゃうって…見たの?
見たよ
マジで?
ホント、俺、そういうの気にしないと思ってたけど、実際、そういうこと言われて住んでみると、そういうことになっちゃうんだよ。参ったよ
執筆どころじゃないよね
執筆どころじゃないよ。もう脚本家目指すのやめようかなって思ってるんだよ
いやいや、それはまた別の話でしょ。幽霊見たから諦めるの?
いや、前から諦めようとは思ってたんだけど
え、何で?
やっぱ、才能ないから
え、10年くらい目指して来て、ここに来て急に才能ないって思ったの?
いや、ずっと根拠のない自信でやって来たんだけど、やっぱ根拠ないなあと思って。ずっと蛍光灯がチカチカしてる感じ? ホラ、こんな感じに一瞬だけ点くんだけど、また消えるの。その繰り返し。いつか点かなくなるんだから、早い目に方向転換した方が身のためかなと思って
蛍光灯が割れる音
男N
俺はいつの間にか、蛍光灯で殴られてました。まあ、彼女の優しさだと思うようにしましょう。それより、その時、彼女が言った言葉が今でも忘れられません。『人は、なにもない部屋に幽霊を見ることが出来る。思い込みだけでゼロからイチを生み出せる。脳はそれくらいバカで偉大なんだ。人生の中で、なりたいものになることは、案外、幽霊を見ることと同じことなんじゃないか』俺は、薄れ行く意識の中で、またココをブラック物件にするわけにはいかないぞと、生きてやるぞと、絶対夢を実現してみせるぞと心に誓ったのです