954話(2014年7月12日 ON AIR)
「喫茶店」

作・中神謙一(劇団SE・TSU・NA)

  
 

マスターの男。女の客が入ってくる。

  
  
 

カラカラン

  

いらっしゃ―。

あたしのこと、知ってますか。

え?

あ、ごめんなさい。実はあたし、記憶喪失なんです。

記憶?

二ヶ月くらい前に、事故にあって。

事故って、ええ?

あ、大したことはないんです。特にケガもなく。

はあ。

ただ、自分の事を憶えてなくて。
お医者さんは「徐々に思い出すだろう」って言うけど、不安で。
でもこのお店、知ってるような気がして、それで。

なるほど。お名前は存じ上げませんが、何度も来て頂いてます。

やっぱり。あたし、どんな人でしたか?

どんなといわれると、その。あ、じゃあいつものヤツ、おいれしましょうか。

お願いします!

じゃあ――。

言わないで!

え?

オーダー聞いちゃうと、想像しちゃうから。先入観なしで飲んでみたいんです。

わかりました。

  
 

コポコポポ…

  

おまたせいたしました。ご注文の…ほにゃららでございます。

飲ませて貰えますか?

は?

目、つぶってますから。

ああ、じゃあ。

(飲む、と噴き出す)ぶはっ!何これ!

ホット冷し飴です。

ええ?ホット…?何ですか、それ。

私の実家では冷し飴をよく作るんです。それを温めることでニッキの香りがより馥郁と―。

(遮るように)あの、

はい?

あたし、本当にそれ、いつも飲んでたんですか!?

ええ。

大丈夫かあたし?こんなの―。

男・女

冷し飴なのにホットなんて!ホットなのに冷し飴って!名前からして意味わかんないし!

え?

初めてご注文された時もそう、大きな声で。

…言ったような気がする。

  
 

女、もう一度飲んでみる。

  

うん、飲んだ事ある気がする。

――泣いてらっしゃいました。

え?

最後に来られた時は男性の方と一緒で、お話して、お連れ様が先に帰られて、
その後、お客様は静かに泣いてらっしゃいました。
ホット冷し飴が、ただの冷し飴になるくらいの時間泣いて、お帰りになられました。

……。

すみません、余計な事を。

いいえ。それもあたしですから。

…もしかしたら神様が、少しだけお休みをくれたのかもしれません。

え?

少しの間だけ、辛い事を忘れていられる時間をくれたのかもしれません。
いつか思い出しても、時間がたてば痛みは薄れるものですから。

薄れますか?

ええ。忘れるわけじゃなく、薄れるんです。人にはそういう時間が必要な時があるんです。だから、また新しい一歩を踏み出せる。

  
 

女、ホット冷し飴を飲み干して。

  

ちょっと懐かしい、おばあちゃんちみたいな不思議な味。ごちそうさま。
また、来てもいいですか。これ、飲みに。

ええ。お待ちしてます。

  
 

女、店を出る。

  
  
  
END