1268話(2020年7月18日 ON AIR)

「そこにはいぬ僕を見ている」

作・中川浩六(三等フランソワーズ)
出演・のたにかな子
藤井颯太郎
雨の音
雌N
今思えばあの時の私はどん底でした。
最愛の人に捨てられ、それと同時に住む所にも、食べる物にも困る生活になりました。
でも、当時の私はそれが当たり前だと思っていました。
私のような者はその内そこら辺りで野垂れ死ぬ。そういうものなのだと
男N
その日の僕はどん底だった。
愛していた人と別れ、行くあてもなく、食べることも忘れてふらついていた。
どうしてこうなったのか、いつから食い違っていたのか、どこを間違えたのか。
後悔のあてを探して街をさまよう
雌N
あの人が好きだと言ってくれたくせっ毛は、雨の重さですっかりストレートになり
三日もまともなものを口に入れていない私は、フラフラと街中を歩いておりました。
身なりもすっかり汚くなった私を、道行く人は遠巻きに眺めます。
惨めな気持ちの中、気が付けばあの人との思い出の場所に立っていました
長い長い石段。あの人と競争して駆け上がったそれを、一歩一歩登っていきます。
登り切った先であの人が待っていてくれるかもしれない。そう思って
男N
忘れていた食欲が腹を鳴らしたタイミングで顔をあげると、
甘い匂いをさせる露店が出ていた。
値段と一緒に「頭の先からしっぽの先まで」と書かれてあるそれを二つ買う。
二つ買う事で、まだどこかに可能性が残っているんじゃないかという、
未練がましい気持ちがあったのかもしれない。
そんな惨めな気持ちでいっぱいの自分の目の前を、
自分以上にとぼとぼ歩く背中を見つける。
いや、正直に言うと目に入って来たのは背中ではなく、
すっかり濡れてしまったその尻だった。
僕はその尻に吸い寄せられるように、神社の長い石段を登る
雌N
わかっていたことでした。それでも、登り切った先にあの人の姿がないことに
自分でもバカらしいほどに落ち込みました。
しかし引き返すほどの体力も居場所も私にはすでになく、
ただ雨をしのげる場所を探し、辺りを見回します
男N
賽銭箱の置かれた拝殿の下に潜り込む彼女を確認したところで、もう引き返そう
とも思ったが、自分の今の気持ちを共有できる相手を見つけたような思いもあり、
僕は彼女を怖がらせないように、ぬかるんだ拝殿の下をのぞき込む。
だけどそんな気遣いの甲斐なく、彼女は大きな目で僕を見ると
何ですかあなたは!
あ、いや、落ち着いて。決して何かしようってわけじゃないから
あっちいってください!
あ、えと、お腹空いてない?
は?
紙袋のがさごそ
たい焼き。食べる?
いりません! 何ですかそれ
たい焼き。うまいよ
やめてください!
大丈夫、毒とかじゃないかーー
やめてください!!
……痛っ
女N
恐かった。
ただただ、恐かったのです。
気が付けば私はその差し出された手に噛みついていました。
決してやってはいけないことだと、幼いころからあの人にきつく言われてきたことです。
ですから、もう片方の手が私の頭の上に伸びてきたときには、覚悟を決めてぎゅっと
目を瞑りました
ひどい恰好だな
雌N
しかし、伸びてきた手は、そんな言葉と共に私の頭の上に乗せられ、
静かに撫でるのです。そして私を見て、『泥だらけじゃないか』と笑うのです
泥だらけじゃないか。頭の先からーー
雌N
しっぽの先まで。と。
おしまい。